されどわが日々

NIKON Coolpix P900/SONY RX100V オート専門

大きい声では言えないが

 (テキストにすると、そのニュアンスに変化が全くなくなりますからしょうがないので平気で書きますが)、甲子園に来るような高校って名前を挙げるために全国から選手を集めていますよねぇ、大体。それで、スポーツで名を上げて全国区になるようにしますよね。そして一方そればっかりじゃだめだからと、進学クラスを作ります。それで「文武両道」なんて称していますけれど、それは文武両道とは云わないですよね、厳密にいったら。文武の分担とでも云えばいいのかなぁ。片や受験勉強に特化します。そして著名大学への進学者数を競います。片や高校総体、甲子園です。同じ人間がやっているわけじゃない。

 スポーツをやっている連中はそれ中心に廻っていますから、授業時間は寝ていたりしますよ。で、その部活の故に入学していますから体力的について行けないとか、故障してしまったとか、どうしても一軍に上がれないという選手たちが当然いますよ。

 で、一軍の選手とそこまで行かない選手との間に人間的な違いがあるかといったらそんなはずがありません。何しろ入学したときは同じ扱いだったし。

 高校や大学でのスポーツというものは本来的には教育の一環であったはずですが、もはやそんな側面は期待できません。なにしろそのスポーツ故に入学したわけですから。要するに高校大学の受験生集めのための広告塔になっているわけです。

 だから、今回の仙台育英高校の「根性焼き」事件、作新学院の暴力事件は非常に問題だと思うんですよ。ひょっとするとこれはこれらの学校の闇の部分の表れではないのかという気がするからです。

 そこへ行くと今回の済々黌高校の場合は公立高校だし、熊本高校についでの進学校であることを考えると、特記すべき快挙だといって良いのではないでしょうか。

 もちろん事件を起こした生徒がどんな動機で、どんな状況からそれを犯したのかを明白にする必要もあるけれど、「辞退するような状況ではない」だなんていうのではなくて、直ちに学校としては原因を教育的観点から見定める必要がある。