されどわが日々

NIKON Coolpix P900/SONY RX100V オート専門

九軍神

 今じゃもう知る人もそれほどいる訳じゃないだろうけれど、日本軍がハワイ・真珠湾を急襲した時に、特殊潜行艇という小さな潜水艦が同じく真珠湾に侵入した。空襲よりわずかに早く、予定とは違っていた。5隻の特殊潜行艇は発見されて攻撃された。

  各艇にはふたりの乗り組みがいて合計10名になるのだけれど、当時の報道ではこの攻撃で戦死したといわれる9名が軍神として大きく報道されている。

 では、残りの1名はどうしたのか。気を失った彼は捕虜となり、約3ヶ月間ハワイにおかれたあと本土に連行され、ウィスコンシンに収容された。戦後帰国し、トヨタ系の社員として外地勤務をし、天寿を全うしたと聞いている。

 昭和24年に「捕虜第一号」という自著を新潮社から刊行している。2011年12月に彼を描いたドラマがNHKから放送されたそうだ。

 特殊潜行艇もそうだけれど、発想は面白いけれど、技術が伴っていない分、人間にその解決を委ね、というよりも解決を強いているのが当時の日本軍の思想そのもの。例えば零戦の操縦席の背部の鉄板が薄くて、敵に後ろに付かれて機銃掃射を受けると貫通してしまうという問題も、「根性で乗り越えろ」と源田実は叱咤したそうだから、推して知るべし。この特殊潜行艇も電池から、ジャイロから当時だから仕方がないのだということになるのだろうけれど、お粗末そのものだった。人の命が軽い時代だったということができるだろう。